ダークファンタジー「叛逆の導 - THE SIGIL REBELLION - 」小説サイト

揺らぐもの

霧の海を進むリヴァたちの背後で、静かに波紋が広がっていた。
それは目に見えるものではない。
誰の意識にも触れず、ただ世界の肌を這うように、ゆっくりと、確実に―― “ 何か ” が蠢いている。
音もなく、気配もなく。
だが、確かにそこにある。
それはまるで、遠い昔に封じられたはずの記憶が、今また息を吹き返し、世界の輪郭そのものをわずかに歪ませているようだった。

ネイラは、一度だけ歩みを止めた。
黒衣の裾が、霧の中で静かに揺れる。
その指先が、ごく僅かに震えていた。
誰も気づかぬほどの、かすかな震え。

――異変。

彼女の内に、何かが触れた。
それが何であるのか、彼女自身まだ掴みきれていない。
けれども、胸の奥深くに、冷たく、鈍く、凍てつくようなものが滲み始めていた。
それは言葉にできぬ予感――恐れでもなく、憎しみでもない。
感情の範疇を超えた “ 感覚のざわめき ” 。

リヴァは気づかなかった。
カーヴァも、ヴォルグも。
誰もまだ、その気配には触れていない。

霧だけが、無言で彼らを包み込む。
白く、厚く、世界の境界を溶かすように。
そしてその奥深くから、何かが目を覚まそうとしていた。
夜は深く、限りなく沈んでいた。
それは夜明け前の静けさにも似て、だが、どこか異質だった。
まるで――夜明けが二度と来ぬことを、誰かが知っているかのような静寂。
やがて、ネイラの足が止まったことに気づき、リヴァが振り返る。

「……行かないのか」

その声には責める響きはない。
ただ、霧の中で静かに確かめるような、淡い調べ。
ネイラは、わずかに視線を落とした。
その瞳の奥で、何かが淡く、揺らいでいた。
それは光にも似て、影にも似た、名のない色。

「私は……ずっと、骸の沈黙の中にいた」

囁くような声は、遠くを見つめるようだった。
それは時間の深淵に沈んだ者だけが持つ、孤独の響き。

「けれど……今、わかったの。 私はまだ、終わっていない。 終わらせては、いけない」

言葉の奥に宿るのは、微かな決意。
それは過去の痛みを抱えながら、それでも前に進む者の灯火だった。
カーヴァも、ヴォルグも、黙して立つ。
だがその沈黙こそが、何よりも力強い返答だった。
ネイラは、静かに顔を上げる。
霧の向こうを見つめ、そしてリヴァの目をまっすぐに捉えた。

「共にまいりましょう。 この世界の、果てまで」

その声には、揺るぎない意志が宿っていた。
それは、過去に縛られながらも、それでもなお歩みを止めぬ者の誓い。
リヴァは、口元をわずかに緩めた。

「……ああ。ともに」

その言葉が、霧を裂くように響いた。
ネイラは、静かに歩みを進める。
そして、リヴァたちの隣へと並んだ。

四つの影が、霧の中に一列に立つ。
それぞれの過去を背負いながら、同じ未来を見据えて。
濃密な霧を裂いて、彼らは再び進み始める。
その先に何が待つかを知る者は、誰一人としていない。

――こうして、骸禍の巫女王ネイラは、リヴァたちの旅路に加わった。

そして彼らの運命は、さらに深く、誰も予見しえぬ渦へと――
ゆっくりと、確かに、巻き込まれていく。

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