不穏な気配に包まれた死者の神殿。
空気は重く澱み、遠くで嗤うような声がこだまする。
地を這う黒い霧の中から、朽ちた骸たちが次々と姿を現しリヴァたちを取り囲む。
まるでこの地が彼らを生きたまま取り込もうとしているかのように。
ヴォルグはその巨腕を振るい、腐り果てた骸を容赦なくなぎ払う。
彼の斧が振り下ろされるたび、血肉のない骨が砕け、霧が赤黒く舞い上がる。
「邪魔だ……下がれ!」
低く唸るような声とともに振り抜かれた一撃は、まるで大地を揺るがす雷の如き威力。
亡者の群れは押し潰され、霧とともに吹き飛ばされた。
まるで巨岩が押し寄せるようなその猛威に、死者でさえ道を空ける。
カーヴァは一歩も動かず、次々と矢を射る。
その弦音は風のように鋭く、標的の眼窩や喉元を正確に貫いた。
矢の一つ一つが生き物のように、死者の急所を選んで突き刺さる。
「狙いを外す暇はない……次、左四時方向」
独り言のように呟く声に迷いはない。
矢を放ち、また矢を番える。
まるで何千回と繰り返してきた儀式のように、静かで確かな動き。
彼の足元に残された矢束は、まだ一本も消耗されていないかのように整然と立ち並んでいた。
リヴァもまた、剣を構えて前へと出る。
背筋を伸ばし、重心を低く、静かに――そして鋭く。
一閃。
霧の中から飛びかかってきた骸が、叫ぶ暇もなく断ち割られた。
「数は多いが……動きは鈍い。冷静に捌け」
自らに言い聞かせるように呟きながら、次々と剣を振るう。
彼の動きはまるで流れる水のように淀みなく、だが一撃一撃に確かな意志が宿っていた。
剣の軌道は霧を裂き、闇に光の軌跡を刻んでいく。
だが、斃しても斃しても、霧の奥から新たな影が湧き出る。
無限に続くような絶望――それが、じわじわと彼らの体力と心を削っていた。
「際限がない……!」
カーヴァが唸る。
呼吸は早く、指先もかすかに震えている。
このままでは、力尽きるのが先か、霧に呑まれるのが先か――。
そのときだった。
ネイラが、静かに歩み出る。
闇の中、彼女の纏う黒の衣が、濃霧と溶け合うように揺らめく。
足元の地面さえ見えぬほどの濃霧の中、彼女の輪郭だけが、まるで異界の光に照らされたように浮かび上がっていた。
「……まだ、彷徨っているのね」
その声は小さく、だが深く――まるで霧そのものに語りかけるようだった。
彼女はゆっくりと両手を掲げ、指先から滲み出る光が、月の雫のように穏やかに霧へ溶けていく。
周囲の空気が震える。
風のないはずの空間で、彼女の衣だけがふわりと舞う。
そして、どこからともなく低く澄んだ音――鐘の音のような共鳴が神殿の深奥から響いてきた。
「……還れ」
たったひとこと。
だが、その声はまるで大地の奥深くに届くような響きを持ち、世界を縛る鎖を断ち切るかのようだった。
霧が震え、亡者たちが一斉に動きを止めた。
嘆き、怒り、絶望に満ちたその目が、ふと正気を取り戻すように瞬きをする。
そして――崩れ落ちる。
まるで長き鎖を解かれたかのように、無数の骸が音もなく倒れ、霧に吸い込まれて消えていく。
悲鳴もなく、抵抗もなく、静かに、まるで安らぎを求めるように。
それは戦いの終わりではなく、救済だった。
再び、静寂が戻る。
だがその空間には、ただの「沈黙」とは異なる重さが漂っていた。
まるで神殿そのものが、一瞬だけ息を吐いたかのような――そんな不思議な余韻が残っている。
「……やれやれ。ネイラがいなかったら、今ごろ俺たち、骨になってたな」
カーヴァが肩で息をしながら笑う。
ヴォルグも無言で頷き、足元に転がる骸を一瞥した。
リヴァは、静かにネイラを見やった。
彼女の顔にはかすかな疲労の色が浮かんでいる。
だがその瞳は、曇ることなく、まっすぐ前を見据えていた。
「……ありがとう、ネイラ」
彼の言葉に、ネイラは小さく首を振る。
「……まだ終わっていないわ」
彼女の視線の先。
霧の向こうに、ほのかに瞬く光があった。
まるで、こちらへと誘うかのように――静かに、確かに、そこに在る。
運命の鍵を握る何かが、その先で待っている。
破滅か、それとも再生か――
すべては、これからだった。
リヴァは剣を静かに収め、足を踏み出す。
霧の海の、その向こうへ。
仲間たちも、迷うことなく続いた。
彼らを待ち受ける、新たなる試練のもとへ。
