水が天から落ちてきた。
だが、それは水ではなかった。
音もなく降り注ぐそれは――記憶。声。想い。
語られぬまま忘れ去られた、亡き者たちの “ 真実の断片 ” 。
それらは霧のように漂い、重く、肌に触れた瞬間、心の奥底へ染み込んでいく。
リヴァの視界が一瞬で闇に沈んだ。
次に目を開けたとき、彼は知らぬ地に立っていた。
――戦場。
空は鉛色に沈み、大地は焼け爛れていた。
剣も、矢も、声も尽きた後。
ただ静かに、終焉の “ 余白 ” だけが残されている。
「……これは……」
吐き出すように漏れた声に、どこからともなく響く囁き。
「これは “ 私たち ” の記憶です。」
それはネイラの声。
だが姿はなく、風でもない、空気そのものが語っていた。
「かつて滅び、名を奪われ、存在すら歴史に刻まれなかった者たちの――記憶。」
その言葉と共に、影が現れる。
剣を手に死にゆく戦士、祈りの中で焼かれる少女、母の名を呼びながら崩れ落ちる幼子。
それらはすべて、声なき魂の残響。
「私は、彼らの “ 代弁者 ” であり “ 記録者 ”。 名を呼ばれずに朽ちた魂の痛みを、世界のどこかに刻まねばならない。」
幻影の中、リヴァは一人の少女を見つける。
壊れた世界の片隅で、小さな体が屍にすがって泣いている。
その声は枯れ、目はただ空を見ていた。
――それは、かつてのネイラだった。
「私はただの巫女でした。 死者の声を聞き、語るだけの……何も変えられない存在でした。」
少女の周囲に、見えない声が渦巻く。
「忘れないで」 「名を呼んで」 「この痛みを、知らないままでいないで」
空気の裂け目から、無数のささやきが染み出してくる。
誰かに伝わることもなく、誰にも届かず、ただ積もり続けた “ 祈りの亡骸 ” 。
「でも、祈るだけでは届かないと知ったのです。 誰一人、救えなかった。 だから私は “ 骸禍(がいか) ”となった。」
その声には、呪詛にも似た力が宿っていた。悲しみ。怒り。拒絶。そして、祈り。 死者たちの全てを背負い、なお立ち続ける存在。
――それが、今のネイラだった。
やがて世界が軋み、瓦礫と記憶の奔流がリヴァを飲み込む。
声。光。熱。痛み――あらゆる “ 終わり ” が交錯する。
次の瞬間、彼は神殿の石舞台に戻っていた。
その足元に、なお余韻のように、幻の水がしずくを落としていた。
目の前にネイラがいた。
仮面の奥の視線は感情を見せない。
だが、それは確かにリヴァの奥底――名前のさらに奥、忘れかけていた “ 痛 み ”に触れていた。
「あなたもまた “ 何か ” を忘れている。」
その言葉は、刃のように、深く突き刺さる。
「名前。過去。あるいは、“死”そのものを……」
リヴァは何も言わなかった。 だが、逃げることもせず、ただその場に立ち続けていた。
「けれど、あなたは名を得た。 それは、世界に抗う “ 意志 ” 。 ならばここに導かれたのもまた――その抗いが向かう先を問うため。」
ネイラの声が静かに止む。
だが、リヴァの中に残ったものは、語られた言葉ではなく、その “ 重さ ” だった。
ここは、ただ死者が眠る場所ではない。
ここにあるのは――忘れ去られた “ 真実 ” と、それを語ることすら叶わなかった魂たちの声。
そして、その声を背負い、託され続けてきた者が――ネイラだった。
