戦の音が途絶えたのは、空が闇に飲まれ、すべての影が溶け合った頃だった。
カーヴァ率いる解放軍が、聖地《グラルの地溝》を越えた先でぶつかったのは、《深淵のジュダス》配下の巡礼守備団。
それは、信仰と正義という名のもとにぶつかり合う、誰もが譲れぬものを抱えて挑んだ戦だった。
砂塵に霞む月の下、そこに残されたのは、倒れ伏した者たちと、剣を置いた者たち――それだけだった。
疲れ果てた風さえ、もはや音を立てることはなく、空には黒く焦げた旗が、沈黙のなかではためいていた。
「……まだ……争いは終わらないのか……もう、動けねぇよ……」
風の民が嘆く。
リヴァは、倒れた兵士たちの隙間を縫うように、音もなく歩いていた。
その背には《歪刃イーデル》が、静かに鞘へと収まっている。
この戦で、彼はただの一度も、刃を振るうことはなかった。
それでも、血は流れた。
叫び声が上がり、命が崩れ落ち、地を紅に染めた。
誰かが剣を抜き、誰かが絶望を吐き出し、誰かが未来を断たれた。
――彼の願いが届くよりも、あまりにも早く。
カーヴァは、その光景をただ黙って見つめていた。
握り締めた拳には、乾ききった血がこびりついている。
胸の奥には、重く澱んだ違和感――拭いきれぬものが、静かに沈んでいた。
「……なぜ剣を振るわぬ。あれだけの覚悟を見せたくせに」
かすれる声で問うたカーヴァに、リヴァは振り返らなかった。
ただ、遠い地平を見つめたまま、静かに言葉を返した。
「振るうべきじゃなかったからだ。 俺が欲しいのは “ 勝ち ” じゃない。 “ 終わり ” だ。」
短く、しかし深く胸に突き刺さる言葉だった。
カーヴァの中で、軋む音がした。
勝利を望んだのか。
自由を望んだのか。
正義を、平和を――それとも、、、
その先に、本当に未来はあるのか。
掲げた旗の向こうに、待っているものは何なのか。
答えは、まだ霧のなかだった。
そこへ、仲間が駆け寄ってきた。
肩に、血を流し意識もおぼつかない兵を支えながら。
「……カーヴァ! これ以上は無理だ! 立てる奴なんて、ほとんど残ってねえ……! 俺たちは、戦うために来たんじゃない。 報われたくて、ここまで来たんだ……!」
震える声。
それは、戦の名のもとに集った者たちの、隠しきれない本音だった。
カーヴァは、言葉を失った。
自由のために掲げたはずの旗の下で、疲れ果て、倒れ、壊れていく仲間たち。
――これが、本当に望んだ戦いだったのか。
いつしか、正義の名を借りた暴走へと変わってはいなかったか。
自分もまた、憎むべき王と同じ道を歩み始めていたのではないか。
再び、リヴァの声が、風の中に溶けた。
「……俺だって、正しいかなんてわからない。 けどな―― もしもお前の旗が、誰かを縛りつけているのなら、それは、王と何も変わらない。」
ゆっくりと、カーヴァは拳を解いた。
握り締めていた赤き解放の旗が、風にふわりと持ち上がり、力を失ったただの布きれのように、空へと翻った。
その旗は、どこか悲しげに漆黒の闇へと溶けていった。
