“ 虚像の番人 ” との戦いは、時の感覚すら奪うほど熾烈だった。
それはただの敵ではなかった。見る者の心に影を落とし、存在の輪郭を曖昧にし、記憶すら薄れさせる “ 虚 ” そのものの化身。
世界の深層に巣くい、神ですら認識し得ぬ、歪みによって生まれた存在。
カーヴァの矢は何度放っても、標的に届く寸前で霧に溶けた。
ジュダスの詠唱は、言葉を紡ぐより先に空間に吸われるように消え失せる。
ヴォルグの斧は確かに振るわれるが、刃先は常に手応えを失い、 ネイラの扇は虚空を裂くだけで、実体には触れられなかった。
「……っ、攻撃が通らない……!?」
ネイラの声に、焦燥が滲む。
「こいつ……実体がないのか……?」
カーヴァが歯噛みし、影の揺れる空間に目を凝らす。
だが――リヴァは静かにその中心を見据えていた。
この “ 番人 ” が試しているのは、力でも技でもない。
それは存在の「核」への問いだ。
自分とは何者か。なぜ、ここに立っているのか。
それに答えられぬ者の攻撃は、決して届かない。
背後で、旅人が低く語り出す。
「これは――お前たちが “ 己を偽ってきた ” 部分と向き合わねば越えられぬ存在だ」
「偽る、だと……?」
ジュダスの眉間に険しい皺が寄る。
「そう。リヴァ、お前もだ。自分が “ 誰かによって造られた存在 ” かもしれないという怯え……それに、ずっと目を逸らしていた」
静かな告白に、リヴァの瞳が揺れた。 だが彼は、ゆっくりと剣を納め、深く、長い息を吐いた。
「……そうかもしれない。だが、それがどうした」
黒き水面に映る彼自身の影が、揺れた。
だが揺れながらも、そこには確かに一つの意志があった。
「名を与えられた? 構わない。俺はこの場所で、皆と歩き、戦い、そして――笑った。 たとえ “ 何者でもなかった ” としても “ 何者かであろうとした ” この日々と記憶は、間違いなく俺のものだ」
その言葉が、空間に静かに響いた。
瞬間 “ 虚像の番人 ” の影が揺れ、輪郭が歪む。
共鳴するように、影が弾ける。
リヴァは剣を再び抜いた。
刃先には、恐れではなく、意志が宿っていた。
「だから――もう俺は、恐れではなく “ 意志 ” で立つ」
彼の言葉に、仲間たちが応えた。
「よく言った、リヴァ。……だったら俺も、自分の “ 呪い ” と向き合ってみせる!」
ジュダスの詠唱が力を取り戻し、光の文字が空間に浮かぶ。
「もう迷わない……狙いは一つ!」
カーヴァの矢が宙を駆け、空気を裂いた。
「この扇は、私の誇り。その証を刻ませてもらうわ!」
ネイラの扇が舞い、重力すらねじ曲げるような動きで虚像の心核を突く。
「……だったら俺も “ 名を持つ者 ” として戦う!」
ヴォルグの一撃が空間の奥底まで響き、虚構を砕く力となる。
“ 番人 ” が咆哮をあげた。
それは音ではなかった。
無数の “ 否定 ” が声となって襲い来る。
過去を、後悔を、失ったものたちを──心に潜むすべての影を暴き出し、叩きつけてくる。
だが、五人は立ち続けた。
それぞれが、自分自身の過去と対峙し、それでも前を向いてきた。
リヴァが叫ぶ。
「もう、お前の “ 虚構 ” には屈しない! 俺たちは “ 今 ” を生きている!!」
その一閃が、番人の胸を貫いた。
世界が軋み、闇が光を孕んで崩れ落ちる。
眩い閃光が爆ぜ、沈黙が降りた。
“虚像の番人”は霧とともに消え去り、黒き門の空間に静寂が戻る。
まるで、その存在が最初から幻だったかのように。
旅人が歩み寄り、リヴァの前に立つ。
かつて導き手だったその男の眼差しは、今やどこか穏やかだった。
「……お前はもう、私の導きから離れられる。私はただ、未来を変える “ きっかけ ” が欲しかった。だが――その変化は、お前たち自身の意志であってほしかった」
リヴァは、まっすぐ旅人を見つめ返す。
「ありがとう。……お前が俺に “ リヴァ ” という名をくれたこと、今は心から感謝している」
旅人はわずかに目を細め、微笑む。
「それが、お前の答えか?」
リヴァは首を振る。
「違う。……それは、俺の “ 始まり ” だ」
そう言ってリヴァは、振り返る。
そこには、自分と肩を並べて歩いてきた仲間たちの姿。
誰もが静かに、そして誇らしく頷いていた。
歪みはまだ世界を蝕んでいる。
だが、もはや導き手は要らない。
彼ら自身が、歩む理由を見つけたからだ。
―― “ リヴァ ” という名を持つ青年は、確かに今ここに “ 生きて ” いる。
そして、その歩みは――次なる章へと続いていく。
