黒き門が開かれた瞬間、圧倒的な重圧が五人を包み込んだ。
その場に立つだけで、魂の深奥を軋ませるような “ 何か ” が、空間全体に満ちていた。
一歩でも踏み出せば、二度と戻れぬ——理ではなく、本能がそう告げていた。
そこは、現実と幻の境界が溶け合い、あらゆる理が意味を失う曖昧な狭間。
岩壁は歪み、空は存在しない。
頭上にはただ虚無が広がり、星すらない。
足元に広がる黒の水面は、空間を侵す鏡のように静かに揺らぎ、その奥底には無限の深淵が口を開けていた。
その中心に “ 何か ” が佇んでいる。
ずっと前からここにいて、五人の訪れを待っていたかのように。
沈黙の中、静かに。
それは、漆黒の外套を纏った旅人だった。
風も吹かぬはずの空間で、その衣はゆるやかにたなびいている。
この世界の影を彷徨い続けた、名もなき導き手。
顔は覆われ、気配は曖昧。
だが、確かな存在感だけが異様に浮き彫りとなっていた。
「ようやく、ここまで辿り着いたか。リヴァ……そして、魔界の四傑たちよ」
その声は、深い水の底から響くように静かで澄んでいた。
だが言葉の奥には、幾重にも折り重なる意図と、時の重みが滲んでいる。
まるで世界の裏側から語りかけているかのようだった。
ジュダスが一歩、前へと出る。
足音が黒の水面に響いた瞬間、波紋が音もなく広がる。
「貴様が、この闇の導き手か……俺たちをなぜ結びつけた?」
旅人は答えず、リヴァを見つめた。
その眼差しは、深い哀しみを湛えているようでもあり、あるいは希望の兆しを探しているかのようでもあった。
「リヴァ。お前は本来、“存在してはならぬ者”だった」
場の空気が、一瞬にして凍りついた。
見えぬ風が流れ、五人の衣を揺らす。
「お前は、名を持たぬはずの魂。だが私は、お前に“リヴァ”という名を与えた。 存在するための名を——理由があったからだ」
カーヴァが反応する。
鋭い視線を向け、弓に手をかけた。
「理由だと? まさか、こいつを操るための名じゃないだろうな」
旅人は静かに首を振る。
「否。私は選んだのだ。 “ この世界の運命を変える可能性 ” を……お前に託した」
「 “ 私 ” ……お前は一体、何者だ?」
ヴォルグが低く問いかける。
ようやく、旅人はゆっくりとフードを取った。
露わになったその顔は、どこかリヴァに似ていた。
だが遥かに老いており、その眼差しの奥には、幾千年を見届けてきた者だけが持つ、時の刻印が刻まれていた。
「私は、この世界の “ 行く末 ” から来た者だ」
その言葉が落ちた瞬間、空間がざわめいた。
光も音もないはずの空間に、確かな “ ざわり ” が走る。
空間そのものが、未来の記憶に共鳴したかのように。
「この世界は、やがて “ 二度目の終焉 ” を迎える。 神も魔も、人も、何もかもが、再び滅びる運命にある。……だから私は、過去へ戻った。 歪みの根源を断ち切るために」
「そしてその鍵が……我々だと?」
ネイラの声には、怒りとも戸惑いともつかぬ揺らぎがにじんでいた。
「違う。お前たちは“選ばれた結果”にすぎない。 私はただ、可能性を示したに過ぎない」
リヴァが一歩前へ進み、まっすぐ旅人を見据える。
「……その“歪みの根源”とは、何だ?」
旅人の表情が、わずかに揺らいだ。
その視線は、リヴァではなく “ 世界そのもの ” を見ていた。
「それは――お前たちの“存在”そのものに関わる。 いや、もっと深く。“世界”という構造自体の虚構に関わることだ」
その言葉の続きを聞く前に、空間が低く震えた。
黒の水面が泡立ち、波紋が不気味に広がっていく。
空間の端がきしむように軋み、何かが割れるような音が響いた。
「来るぞッ……!」
ジュダスが咄嗟に構え、ヴォルグが闇を睨みつける。
「説明は、後でいいようだな」
闇の中から現れたのは、人の形を保ちながらも、その理を完全に逸した存在——“ 虚像の番人 ” 。
黒き門を守護し “ 真実の語り部 ” を葬るために創られた、この世界が自らの矛盾を“正す”ために生み出した自浄装置。
皮膚の代わりに影を纏い、眼窩の奥には星のような光が瞬く。
その歩みは音もなく、ただ空間を “ 塗り潰して ” 進んでくる。
リヴァが剣を抜く。
その手はもはや迷わず、確かな意志に支えられていた。
「俺は、自分が何者かを知りたい。そして……誰のために戦うのかも」
その一言に、四傑たちは無言で頷いた。
それぞれが、過去と痛みと覚悟を胸に、
この闇に立ち向かおうとしている。
“ 黒き門 ” を背に、五人と旅人は、世界そのものの問いと対峙する。
